蛍がそれほど珍しいくない時代

子供のころ 蛍がそれほど珍しいものでなかった。

 

家のすぐ隣にあった田んぼだったか草が生い茂っていた場所に

普通に飛んでいて さして感動するものではなかった。

昭和30年の後半が私のこども時代です。

私の住んでいる集落は 66件ほど住宅があるんですが、

そのころは7件ほどしかないなかったと記憶しています。

田んぼと雑木林だけ、そしてもも畑が少しあったかな~。

もも畑で思い出しました。 そう

もも畑には肥溜めがあって 子供のころ2~3回 嵌まったかな!!(笑)

 

肥溜めって 今はないけど・・・

私の子供のころには、結構あってね、

人の糞尿を発酵させて畑の肥料にしていたんです。

今ではいろんな意味で害があるとのことで

化学肥料になってしまいましたね。

 

 

夏の遊びは、川遊び!、

川といっても田んぼと田んぼの間を流れる用水みたいなものでして

多少コンクリート板で仕切っただけの幅2メーターぐらいの小さい川です。

田んぼの泥を川の中にぶち込んで、

用水をせき止めさらにもう一方にも泥をぶち込んで川の水をかきだして

鮒や鯉の小さいものを根こそぎ捕ってしまうんです。

釣りもやったけど・・・こっちのほうが簡単です。(笑)

ザリガニも食べたっけ

近くの工場の寮母さんをやっていた一つ下の「デブコン」とかいうあだ名をつけた

連れのお母さんがアメリカザリガニを蒸してくれて食べた。

おいしいかって・・・  覚えていない~。(笑)

今のように 携帯電話やパソコンもない時代

男の子も女の子も暗くなるまで真っ黒になって外で遊んでいるのが当たり前でした。

 

そのころはやっていたのが歌謡番組でして白黒テレビで見ていましたっけ!!

1965年の紅白歌合戦なんだけど、司会者もすごく初々しくて かわいらしいね。

今、見てみると白黒って 情緒とか奥行が感じられますね。

さ~ 都はるみのデビュー曲 涙の連絡船 聞いてください。

 

 

 

 

 

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